好きな本について述べる

好きな本について何か述べたいと思って、10作品選出してみました。
長らく読んでいない本もあって、私の頭はそんなに記憶が定着しないタイプの頭なのでほんとうなら全て読み返してからこういう文章を書いた方がよさそうなのですが、まず好きな本の好きさを思い出しながら言葉にすることで自分で自分にその本を読み返させたくするという狙いもあって、とりあえずは読み返さずに書くことにしました。

10作品のタイトルと著者名を並べると、こうです。

「河童」芥川龍之介
「いつかたこぶねになる日」小津夜景
「神の火」髙村薫
「斜陽」太宰治
「いたいけな主人」中里十
「君が僕を」中里十
「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ
トーマの心臓森博嗣
マリア様がみてる今野緒雪
イスラーム文化」井筒俊彦

この中に読む予定の本があって、内容について知らないまま本を読みたい派の人がいたら引き返してください。



それではまず一冊め、芥川龍之介の「河童」です。
私が持ってる岩波文庫だと芥川龍之介じゃなくて芥川竜之介って表記ですが、やっぱ芥川龍之介芥川龍之介がしっくりきます。
著作権の切れている昔の小説なので青空文庫でも読めると思います。私が高校に入学する時に買ってもらった電子辞書にも収録されていました。

河童の国に行ったことがあるって人の話を聞いた人がその話を写した文章って体の小説なのですが、私は「これは書かれた文章です」って断りがある小説って好きなのでこれがまず好きポイントその1です。

好きポイントその2は、いきなり細かい部分になりますが、「僕は河童の国から帰ってきた後、暫くは我々人間の皮膚の匂に閉口しました。」って描写です。
なんかすごいリアルだ!上手い!って思った部分です。(リアルも何も私は河童の国に行って帰ってきたことなんてないし、この話を語る人も精神病院に入院してる狂人なので、私がいる本の外側だけではなくて本の内側の世界でもこの話は本気で受け取られるような話ではなさそうなのですが)
ここを読んで、夏に海外旅行に行って帰ってきて空港から外に出た時のしばらくぶりの日本の蒸し暑さ…みたいな感覚のことを思い出したり、眠る時に見る夢って匂いが無い気がするし、言葉や物の形はぼんやり頭の中で思い浮かべることができるけど、ここに無い匂いを思い浮かべてここにあるような気分になるってのは難しい気がするな…とか考えたりしました。
はっとするというか、この文のおかげで河童の国から人間の世界への移動の感覚の実感が読んでる私にも生じるというか…上手く想像できて…楽しい体験でした。

そして好きポイントその3は、最後の最後の方に詩が登場するところです。
その河童の国の話をする患者さんがね、河童の詩集だって言って電話帳をとりだしてその本に載ってる詩を読んでくれるんですけど、詩の部分はゆったりとスペースが使われてるんです。
他の部分の文章は小説らしくページにぎっしり詰まってるんですけど、詩の部分は詩らしく、一行の文字数が少なくて一節一節の間に空白の行があったりするんです。
それで、その部分になると読み心地というか読む速度が変わるんですけど、それがすごく良いんです。
朗読とかを聞くより文字で読んだ方が同じ内容でも早く読めるものだと思うのですが、(文章を読む速度は人によって違うだろうからそうでもないって人もいるかもだけど)詩はちょっと例外で、詩を読むときってざーっとは読まず頭の中で声に出しながら(?)読みませんか?私はそうなんですけど、だから、ここで、河童の国の話をする患者さんの声の速度と私が本を読む速度が重なるかんじがして、その演出(?)が好きです。
この部分が無ければ、最初から最後まで同じ速度でさーっと歩いて終わり、みたいな読書になりそうなんですけど、この部分が最後の最後に読む人を立ち止まらせて、小説の内側の景色をじっくり眺めさせられるような仕掛けになっている気がします。

河童は短いお話なので、短時間で面白い小説を読んだ感というか、読み終えた後の余韻を味わえるのが良いです。お得な小説な気がします。


そして次は2冊め、小津夜景の「いつかたこぶねになる日」です。
エッセイと漢詩が30ずつくらい載ってる本です。

好きポイントその1は、どこから読んでもいいかんじの本なところです。
小説とかの本の厚みって、ちょっと気が重くなりませんか?これも人によるんだろうなと思うのですが、私は読み始めるとき、これからこんな大量の文字を読むのか…ってちょっと気分が下降したりします。
でもこの本は続き物じゃない短めのエッセイがいくつも収録されてる本なので、なんとなくぱらぱら~とページをめくって、なんとなく気になったところを読むってことができるのが好きです。のびのびした気分で読書できます。

好きポイントその2は、一編のエッセイにつき一つは漢詩が登場するところです。
軽く読める気楽さは短いエッセイのいいところではありますが、その分読後の余韻の深さみたいなのは不足しがちな気もします。でもこの本では詩が一編一編エッセイを引き締めているので(?)、読んだときの満足感がすごくあります。
「河童」の好きポイント3では言いそびれましたが、私は詩集で読む詩も好きですが、詩じゃない文に挿入される詩の部分はもっと好きなんだと思います。

好きポイントその3…いやポイントというか、この本の全範囲にわたる良さについて述べたいのですが、この本はどこから読んでもいいというだけでなく、内容も、筆致も、のびのびしたかんじで好きです。
浮世離れしているかんじというか、足が地についてないかんじというか、なんだかとてもふわふわしたかんじもするけど、生活感もあって、具体的というか実際的な事と、雰囲気とか観念みたいな事(?)の世界が分かれてないかんじというか…ひとつのものから何かを連想して、それを繰り返してどれだけ遠くのどれだけ美しい場所に行けるかみたいな競技があったとしたら、この人はものすごい記録を出しそうだみたいなかんじがする文で(???)好きです。
すべてのエッセイが、こんな文ありそうだなって文ではなくて、どれも思いがけない意外な文章で、とても楽しく読めます。おすすめです。


3冊めは…いえこれは上下巻で2冊あるので…ここからは作って単位を使うことにします。3作めは髙村薫の「神の火」です。
これはとても面白い小説なのですが、専門的な言葉がたくさんの細かい描写とかも多くて、読むのがなかなか大変です。でもとてもすてきな小説です。

どんな話かというと、主人公の島田さんがいて…最終的には島田さんが原発を襲撃するって話です。
私は、人間が個人的な感情のためにめちゃくちゃなことを衝動的にではなく理性で計画して実行する…みたいなのがとても好きで、そのとき自分の感情もたくさん疑ってほしいとか自分のすることはめちゃくちゃだと自覚しててほしいとかでもほんとのほんとにめちゃくちゃなんじゃなくてそこに意味もあってほしいとかでもその意味は個人的なものでないとだめでひろく通じるようなものではいやとか、、まあいろいろこだわりはあるのですが、そんな私の趣味にちょうど合うようなお話しです。
ちょうど合うというかこの本が私にこの趣味をはっきり自覚させたのかもしれないです。
原発襲撃なんてとんでもないことではあるのですが、島田さんはずっと自分の正気を検分し続けてるような人で、そんな描写が細かくなされているので、読んでる私たちには島田さんがそうすることが…なんというか…分かります。
それがとても良いというか…スリリング?な体験ができる読書だなと思います。

あとほんとに文章が細かくてすごいです。細密画ってかんじです(?)

もっともらしいことではなくても賢明とは評されないようなことでも他人から見たらよく分からないことでも、心の納得のために何かをしようと思って、そうする、みたいなのが私は好きです。それも咄嗟にするんじゃなくて、またその行為を客観的にも評価できる上でそれでもやろうと思ってやるみたいなのが好きです。神の火はそんなお話なので好きです。

あとなんか…あらすじからは想像できないかんじの美しさのある小説で良いです。善ではなく美ってかんじの小説でおすすめです。

それと神の火は単行本から文庫になるときに内容がけっこう変わってるらしいのですが、私が読んだのは文庫の方です。新潮文庫の た-53-2 と た-53-3 です。


4作目は太宰治の「斜陽」です。
これは読みやすくて面白い小説です。今の私の趣味にぴったりは合致しないかもですが、中学生くらいの頃初めて読んだ時は私が読みたかった小説はこんな小説だ!って思ったような気がします。そういう思い出の一冊です。
やっぱり私は、人が自分の心でいろいろ考えて自分の感情のために独創性のある行動をするのが好きです。これもそういう話だから好きです。
人が自分の心でいろいろ考えて自分の感情のために独創性のある行動をするのが好き…これを述べたら満足してしまったのでもう次の本の話に移ります。


5作目は中里十の「いたいけな主人」です。
これはすてきな百合小説です。これも初めて読んだのは中学生の時でした。でもこの本の良さがちゃんと分かったのは去年くらいに読み返したときです。私は今27才なので、十何年か越しってことになります。

この物語の中では、登場人物が嘘っぽい蛇足っぽいハッピーエンドで終わる物語について話をするシーンがあるのですが、この「いたいけな主人」もまさにそんな終わり方をします。
だからほんとうはこんな幸せな展開にはならなかったんだろうなというのが分かります。でもどこからどこまでがほんとうのことかは分かりません。幸せな物語の終わりが悲しく、その悲しさがそのありえなかった無理のある幸せを美しく感じさせます。
そしてほんとうもなにもこれは作られた物語でノンフィクションとかではないし…それに作中で語られる物語と同じような終わりをすることが「これは書かれた物語です」って断わりになってるからフィクションの中のノンフィクション(?)ですらないってことかな…とか思ったりして…?なんかとにかく頭がちょっと混乱します。鏡と鏡を合わせたのを覗いたような気分になります。
この、他ではあんまり味わったことのないタイプの読み終わり心地?が好きな小説です。
でも昔読んだ時はこのしかけに気づけなくて、読み終わった後、ふーん?みたいな気分になってました。


6作目も中里十の作品で、「君が僕を」です。これは全4巻なのですが、一冊一冊がそんなに分厚くなくて、字もあんまりぎゅうぎゅうには詰まってないです。でも、よくありそうな内容ではなくて意外な思いがけない内容の文章なので読みごたえはけっこうあります。哲学的百合小説です。
この話は私の知ってる小説の中でいちばん私と気が合う本かもしれないです。私が高校生くらいの感じやすい頃にこれを読んで感化されたからです。
いやでも私も変化しているので、いちばんってのは言い過ぎかもしれません。それでもとても思い入れのある小説です。
好きポイントはいろいろあるのですが、ここではいろいろのうちののひとつである、最終巻のあとがきを一部引用して紹介したいと思います。

(日本を代表する場所として私が推すのは、郊外の新興住宅街です。
 こういうときの外国人向けの答えとして適切とされる場所はたくさんあります。法隆寺秋葉原、築地の魚市場、などなど。しかし私には、それが正しいとは信じられません。私がこれまでに住んだことのある場所はすべて郊外の新興住宅街です。そう珍しくもないはずの私の人生でもっとも長い時間を過ごした場所を無視して、フジヤマ・ゲイシャ・スシ・カラオケ的なステレオタイプを「こういうのがお望みでしょ」とばかりに差し出すのは、どう考えても誠実な行為ではありません。
 同様に、教祖・教団・経典の揃った宗教は、私にとってはフジヤマ・ゲイシャ・スシ・カラオケです。クリスマスや七夕やバレンタインデー、「いただきます」と「ごちそうさま」、赤い羽根共同募金、スポーツ――これらが私にとっては宗教の代表的な姿です。
 こういう意味での代表的なもの、中心的なものを、本作『君が僕を』に盛り込んでみました。)

…なんだかこの文章を読むとどんな話かなって気になりませんか?気になったら読んでみてもいいと思います。


7作目はミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」です。これも哲学的な小説です。
これはかなりとっても面白いです。なんとなく知ってたり分かってたり思ってたり感じてたりする何かが、はっきり言葉にされているのに初めて出会ったときの感動がたくさん味わえるような本でした。読むと世界の見え方がちょっとはっきりして、何かに埋もれていた自我の輪郭がくっきり浮かび上がってくるような気もします。

いつだったか、むかーしむかし、子供だった頃のことですが、何かの本を読んで、私がなんとも言えない、言葉にできない感情として扱っていた感情に近いものが言葉で表現されているのに初めて出会ったときは、これって言葉にできないわけではなかったんだ!って驚いたものでしたが、やっぱりそういう体験ができる本はいいなと思います。

西永良成訳の方をおすすめしたいなって思います。


8作目は森博嗣の「トーマの心臓」です。
これは萩尾望都の漫画「トーマの心臓」を原作とする小説なのですが、けっこう翻案されてて、原作とはいろいろが違っています。
私は先に漫画を読んだことがあってそちらもけっこう好きなのですが、これは小説の方がもっと好きだったりします。
あの原作がある上で小説版がこんななのが良くて好きってのもありますが、小説の方だけ読んでも十分面白いんじゃないかなと思います。
これはとてもきれいな小説なので、きれいなものが必要な気分の時に読むといいと思います。
このきれいさは…装飾がすごくて豪華でぴかぴかしてる系(?)のきれいさではなくて…どちらかというと空気が美味しくて水が透明で雑音がなくて静かみたいなタイプのきれいさです。
あーでも癒しってかんじではないかもで…緊張感はあるかもで…うーん…上手く言えないのですが、とにかくきれいでいいな!って思っています。

また好きな部分をちょっと紹介します。

(「それから、一人っていうのは、逆に考えたら、自由だってことだ。ユーリがそう言っていた、羨ましいって」
「羨ましい?」彼は首を傾げた。「そうかなあ……。束縛をするような身内は鬱陶しいけれど、信頼していて、自由にさせてくれる人だっていると思うな。そういう人は、ずっと一緒にいなくても良くて、でも、どこかにいてくれる。生きている、というだけで、嬉しい。そういうものじゃない?」
 僕は頷いた。あまりに正しすぎる。まったくそのとおりだ、と思った。エーリクはときどき、驚くほど適切な表現をするのだ。)

健全な愛を分かってる人だ!ってかんじがしてなんだか好きな部分です。


9作目は今野緒雪の「マリア様がみてる」です。
これは37巻あるので全部読むのはけっこうたいへんです。でもけっこう対象年齢が低めに想定されていそうな少女小説で文章が難しくないので、一冊読むのにあんまり時間はかからないです。
37巻あるので、物語の始まりから終わりまでで、登場人物たちの心や人間関係がけっこう変化します。それも良い変化をします。だから「よかったね~~」って気分になれます。

この物語の中では、キャラクター達がある程度ちゃんとした恵まれた環境であんまり悪いものに晒されることなくのびのびと悩んだり喜んだり傷ついたり騒いだり困ったり遊んだりなんだりしながらいきいきと暮らしていて、それが可愛くて、いい光景で、好きです。

人間が人間を大好きなのは好きだけど恋愛ものが好きってわけではないのかも…みたいな私みたいな趣味の人にもおすすめです。大好き以外にも、ほどよい仲の良さとか、いろんなすてきな人間関係のバリエーションが楽しめるすてきな作品です。


最後の10作目は井筒俊彦の「イスラーム文化」です。
これは小説ではなくて井筒俊彦さんがイスラーム文化について教えてくれる本です。
これを読むと、こんな人間になりたい!って思います。こんな文章を書く人間はすてきな人間だろうなって思います。
頭が良くて、穏やかで、でもしっかりした人が、分かりやすく、でも無駄にくだけた言い回しなどはせず、的確な言葉で知らないことを教えてくれるってかんじの本で、とても読み心地がいいです。
イスラーム文化に興味がある人にはもちろん、そうでない人にもおすすめしたい読み心地のよさです!

 

2023年3月26日 翠ぱーか