2024年1月24日の日付入りメモ

●新しい靴の履き心地がめっちゃいい

今までは1000円くらいで買った、足に対してゆったり大きめの、すぽっと履いてぱかっと脱げるタイプの靴で歩いていたのですが、日曜日に8500円くらい出して足にぴったりのサイズのランニングシューズを買いました。
月曜日から履いてるのですが、すばらしいです。
一歩進むと、もう一歩が勝手に出ます。
自動で歩いてる感覚です。
って初日はすごく感動したんだけど、もうけっこうこのすばらしさに慣れてきてしまいました。
でも今日も3回くらいは歩きやすくてうれしいなーって感じて喜びました。
せっかくだからすごい長距離歩いてみたりしたいなと思って、どこを歩くのがいいかなーとか考えたりしています。

●胸の揉み心地の悪さについて考える

昨日お風呂で体を洗っているときに思ったのですが、胸って揉み心地が悪いなあと思います。
強く揉むと痛いというか、触るとよくないものが中に入ってる感じがあります。(眼球を触れないのと同じようなよくなさ 強ーく握りつぶしてみようなんてできないかんじ 頬の内側の肉をかみ切るなんてとてもできないのと同じかんじ)
身体の多くの部分は揉むと気持ちよくてほぐれる感覚があるけど、胸にはそういう揉んだり押したりするべきツボがない気がするなと思います。
そんな話を母にしたら、胸は脂肪だからじゃないか、揉んで気持ちいのは筋肉なんじゃないか、って意見をもらえました。たしかにそんな気がする!って思いました。

●読書

何日か前からちょっとずつ、『ロゴスと巻貝』を読んでいます。
短いエッセイが何篇も収録されている本なので、順番通りではなく、なんとなくぱらぱらめくってなんとなく引き寄せられたところから読んでいます。
もう2、3度読んだ部分もあるし、まだ読んでいないページもあるはずです。
もうけっこう読んだんだけど、さっき本を開いたらまだ見かけてなかったページと出会えて嬉しかったです。

 

2024年1月24日 翠ぱーか

(前の記事を書いたその日の夜、街に出かけて靴とヘアアイロンとほうきを買いました。)

 

いずれ買いたいなと思ってるものをリストアップする

今日のテーマは、今現在からちょっと目をそらして未来のことを考える、です。
それで、今すぐ買わなくてもいいけどいずれ欲しいなって思ってるものをリストアップしてみました。

ひとつめの欲しいものは、可愛いほうきです。
https://www.yodobashi.com/product/100000001007031169/
https://www.yodobashi.com/product/100000001004887926/
こういうのがいいかな。
部屋に可愛いほうきがあったら、もうちょっとまめに床のちりを取り除く人になれるんじゃないか…とか期待してしまいます。
そうはなれなかったとしても部屋に可愛いほうきがあったらなんか…いいと思います。


ふたつめの欲しいものは、ちゃんとした靴です。
普段は安価で、ちょっとゆったりしたサイズの、紐のない、脱ぎ履きの楽な靴を履いているのですが、
しっかり足にフィットする運動用に作られたちゃんとした靴でどこまでもどこまでも歩きたい!って気持ちが最近あります。
てきとーな靴でも山を下ってみたりとか、伏見稲荷の頂上まで登ってみたりとかはできたのですが、ちゃんとした靴だったらもっと足取りが軽くなって、どこまでも行けそうって思えてわくわくした心で歩けるんじゃないかなと期待しています。
https://www.abc-mart.net/shop/g/g6340360001046/
「ランニングシューズ」って検索したら出てくるような靴がいいかも?とか思っていて、この靴が見た目もほどよいかんじで気になっています。
でも、私の足のサイズは多分23.5くらいなんだけど、「このシューズの作りは小さめです」って書いてあるから24のほうがちょうどいいかもしれなくて、24は在庫がない…うーん…。
それにやっぱ通販ではなくて店で試し履きをして買ったほうがよさそうな気がする。買うときは実店舗に行ってそこにあるものから選ぶことになるかな…?


みっつめは、ヘアアイロンです。
最近髪を切って、ぎりぎり結べないような長さになったので髪を結ばす過ごしているのですが、日によっては変な寝ぐせが目立ちます。
まあ寝ぐせついててもいいか…とも思うんだけど、でもちゃんと身なりを整えて気分をしゃんとさせたい日もたまにはおとずれると思うので、そんな日のために用意しておきたいです。
https://www.biccamera.com/bc/item/3857532/

よっつめは、電子キーボードです。
なにかいい音が出るものが欲しいなと思っていて、じゃあやっぱ楽器かなと思って、ウクレレもいいなと思ったのですが弾けるようになるために練習するのはめんどくさいな…と思ったりして、買うならキーボードかなってことになりました。
https://www.biccamera.com/bc/item/11594095/
昔ピアノを習っていたこともあったし、ドの鍵盤を叩けばドの音が出るってかんじだから簡単に楽しめるかなと思って…。それにこのリンク張ったキーボード600種類以上の音が出るらしい…パソコンとも繋げるらしい…なんか楽しそうじゃない…?


いつつめは、フェリーに乗る体験です。
フェリーに乗ってみたいです。海とか川とかの波ブームなので、波の上で揺られてみたいなって思ったのです。
波の上の個室でひとりでのんびりする…だなんてなんかすてきだなあと思います。
大阪からだと四国とか九州に行く便が出てるっぽいです。
でも旅ってめんどくさいんだよなあ…。でもいつか、一度は乗ってみたいなって思ってます。

 

2024年1月21日 翠ぱーか

生活のテーマを「五感」にしてみようという思いつき

一昨日、生活のテーマを「五感」にしてみようと思いつきました。
目で見ること・耳で聞くこと・鼻で嗅ぐこと・舌で味わうこと・皮膚で感じること、をもっと意識して暮らしてみたいと思ったのです。
実践してみて、いつもは意識してなかった感覚を探してみると楽しかったのでちょっとメモしておきます。

●携帯を操作するとき、いつもは画面の内容にしか意識を向けていなかったけれど、指を画面に滑らすときの触感なども味わおうとしてみると、なんだか面白かった。

●目の前にあった机の板と水筒の表面とコピー用紙とノートパソコンの触り心地を比べてみるとそれぞれ違ってなんだか面白かった。

●電車の中でイヤホンをつけて音楽を聞いているときに同時に音楽以外の、電車のドアが開閉する音などにも意識を向けて、音楽と調和したりしなかったりするのを楽しんでみた。

●電車の中とかの人の多いこもった空間の匂いは愛着のない見知らぬ人間にまつわる匂いで構成されているのであんまり意識を向けない方がいいなとか、でも意識を向けてちゃんと嗅いだ上で受け入れるようになれるならそのほうがいいかもしれないなとか、考えた。

●水の味を感じたいけど、上手く感じれない。でもいろんな水を飲み比べれば、それぞれの味を捉えられるかもしれない。明日にでも採水地とかの違う水をいくつか買ってきて試してみたい。

●なにも口に含んでない状態で味覚に意識を向けてみるけど、唾液の味とかはよく分からない。でも唾液が分泌されていくのは感じられる。口の中の触覚だなと思う。ものを触るときって指で触ることが多いけど、体のいろんな部分で触れてみても面白そうだと思った。いろんなものを口に含んでみたりしても楽しいかも。

●自分の体を触ると、他のものを触るときと違って触ってる感覚と触られてる感覚を同時に味わうことになるのが面白いなと考える。そのことを意識しながら自分の体を触ってみるとなんだか面白い。

●目前の景色を、描かれた絵だと思って、体を動かさず目線もずらさず観察すると、どこまでも細部があってすごいなーって圧倒される。パソコンにつないでるキーボードのキーひとつひとつのフチの一辺の細い白い光とか細かくてものすごい。

2023年12月2日 翠ぱーか

夏との闘いの勝敗の発表

さっき森茉莉の『貧乏サヴァラン』から「楽しむ人」を読んだ。
こんな段落があった。
「そういうものはほんとうの楽しさではない。皮膚にふれる水(又は風呂の湯)をよろこび、下着やタオルを楽しみ、朝おきて窗をあけると、なにがうれしいのかわからないがうれしい。歌いたくなる。髪を梳いていると楽しい。卵をゆでると、銀色の渦巻く湯の中で白や、薄い赤褐色の卵がその中で浮き沈みしているのが楽しい。そんな若い女の人がいたら私は祝福する。」
これは何か月か前の私みたいだと思った。
そして今の私の暮らしのつまらなさをつきつけられてしまった。
つまらないのは夏のせいだと思って、負けを実感してしまった。
食欲が損なわれ食べるのもいまいち楽しくないし、寝心地も悪くて眠る喜びも損なわれてるし、空気も布も肌に暑苦しいし、静物もぬるくて可愛くないし…(たとえば机とか、触ったときちょっとひんやりしていたほうが可愛いと思いませんか?)
夏の暑さとは関係のない辛いこともあるけど、でもそれだって冷たく乾いた空気とか、肌にあたる布のさらさらした感触とかが慰めてくれるなら今より苦しく感じないかもしれない。

今年も夏に負けた。
でも夏ももうあと1か月くらいしたら終わるだろうし、いちばん暑い時期は過ぎたし、もうふんばるのをやめて負けを認めて涼しくなるのを待てばいいかな。
でも来年の私はまた闘いに挑むのでしょう。6月にこれからの夏を全て諦めるなんてことはできないから、暑さの盛りを過ぎないとこうして負けを認めることは難しいでしょう。一旦負けた…もうだめだ…ってなってもやっぱまだいける!と気を取り直して闘いを再開するしかないでしょう。生きるのってけっこうたいへんですね…。

ところで明日は甘酒を飲んでみようと思う。
栄養がありそうだから買ってきた。
飲んだら元気が湧いたりしないかなと期待してる。
負けても死ぬわけではないし、生活は続くから、なるべく楽しく気持ちよく暮らせるようにいろいろ試してみることは結局やめない。
でも闘いは終わり。だるくて辛くてやる気がでなくてつまらなくてもしかたないやと諦めて、敗者として、夏が去っていくのを待ちます。

2023年の夏対翠ぱーかの闘い、翠ぱーかの負け!!!

2023年8月26日 翠ぱーか



2023年8月24日の日付入りメモ

日記を書きたい気分なので書きます。

●朝
パン屋でパンを買う夢を見たので、朝ごはんにパン屋にパンを買いに行こうかなと思って、行きました。
ベーグルって好きです。

●病院
昨日の夕方病院から電話があって、8月中に病院に行けば2つの手続きを1つの診断書でできて診断書代がお得!って情報をもらったので、病院に行きました。
私が通っている精神科は、外来は午前中だけ開いていて、予約なしで行くシステムで、待合室にテレビとかなくて照明も明るくなくて、気に入っています。
私の担当の先生がいるのは月曜と木曜です。今日は木曜日なので、ついでに薬ももらってきました。まだ1か月分くらい残ってるのにさらに2か月分くらいもらったので、あと3か月くらい病院に行かなくてすみそうです。
あと3か月もしたら秋…も終わって冬が始まってるかもだな、と考えたりしました。
手続きで書類を記入するとき、自分の年齢がぱっと出てこなかったり、郵便番号を覚えてなくて調べようとしたら書かなくてもいいと言われたり、母の生まれた年が分からなくて昔の東京オリンピックの年だったなと思って調べたりして、ちょっと手間取りました。
年齢って、変わってゆくから厄介だなって思います。人の年齢も、昔聞いたとき何歳って言ってたのは覚えててもそれが何年前のことかもう分からないや…ってなったりします。自分との年の差とか、生まれ年を覚えたらいいんでしょうけどね…でもあんまり覚えよう!ってやる気がでません。

●昼寝
朝起きたときから、疲れたな…って気分だったのですが、気分とは裏腹に体はてきぱきと行動して、パン屋に行って片道徒歩45分の病院に行って植物園や本屋にも寄って帰宅後すぐに夜ご飯の材料を買いにまた出かけて…ってのを午前中のうちにこなせて、赤い靴って童話があったなってぼんやり思い出したりしてたのですが、昼過ぎに休憩しようと思って床に横たわったらちょっと眠ってしまって、目が覚めたら気分と体の感覚が統合されていました。気分と体の感覚が噛み合ってると落ち着くな、と思いました。靴が脱げたなとも思いました。

●靴下
暑い季節になってから靴下を履くときはくるぶしまでしかないものを履いていたけど、今日はもうちょっと長い靴下を履いてみました。そしたらあったかくて気持ちよかったです。暑くて顔から汗をだらだら流しているのに、足元があったかくて気持ちいいと思うのは意外だったけど、夏でもあっためるべき場所はあっためたほうが気持ちよかったりするのかもしれないとか考えました。最近たまに腹巻をしたりもしているけど、それもけっこういいかんじだし…。頭とか手とかは冷たいほうが気持ちよさそうな気がします。

●海老
夜ご飯は海老がたくさん入ったスープとピーマンの肉巻きにしました。
海老はやっぱりいい出汁がでます。殻も使って出汁をとりました。熱を入れると色が赤くなるのも楽しいし、背わたをとるのはちょっとめんどくさいけど、いい食材だなーと思います。

●冬の服
赤い服が欲しいなと思いついてメルカリで買ったワンピースが届きました。
秋冬用ってかんじの厚手の生地の服なのでまだしばらくは活躍しないけど、試着してみたらなかなかいいかんじで、嬉しかったです。
試着ついでに押し入れから真冬用の上着を取り出して着てみたらすごく暑くて、それもなんだか楽しかったです。

2023年5月21日の日付入りメモ

今日は日曜日で休日でした。朝は7時ごろ起きました。昨日の夜は9時ごろ就寝したので、たっぷり眠りました。

昼過ぎまでは洗濯や掃除をちょっとだけしたりはしつつ、だらだらしていました。
YouTubeでなんとなく見た動画で人がクリームソーダ作りをしていて、それに影響されて大きなグラスで何かを飲みたい気分になって、大きいグラスでお茶を飲んだりもしました。


午後はスーパーに買い物に行って、15時ぐらいから夜ご飯を作り始めて、16時過ぎくらいに食べました。

メインの品はピーマンの肉巻きでした。木曜日にも作ったのですがもう一度食べたくなったのでまた作りました。
他は蒸したナスと、ゆで卵と、スイカと、タラのスープを用意しました。
イカがとっても美味しかったです。今年初めて食べました。この夏の間にもう1、2回…いや2、3回…食べたいな~って思います。

タラを安いからってスープ用に買ったり、スイカも、お得!みたいなこと書いてある札がついてるから多分平常より安いんだろうとか、今日は暑いからきっと美味しく感じるだろうなとか思ったりして買ってしまったりしたので、ちょっと予定よりお金のかかったご飯になってしまいました。次回作るご飯を質素にしてつりあいを取ろうと思います。


夜ご飯を食べたらやる気が出てきたので、さっさと片づけをして、その後はなんと中学校1年生の範囲の英語の勉強をしました。
もう1年以上前に買ってほんの最初の方だけ読んでほったらかしにしていた中学英語の参考書にやっと手を付けたのです。
そう…英語を学びなおしたいなと思って…高校生のときに英検2級を取ったりしたけどもうすっかり英語のこと忘れちゃったなと思って…とりあえず中学生の範囲からだなと思って…それで本を買ったんですよね…実は数か月前くらいのことだっけって感覚でいたのですが、自分のツイートを「中学 英語」で検索してみたら去年の7月3日の数か月前に買ったみたいで、1年は前なんだ…と思い知らされたりしました。


英語をちょっと身に付けたいなって思ったわけは、日本円の価値はどんどん下がっていくんだろうなって気がしてるから、英語ができたら、出稼ぎに行ったりまではしなくても、なんか…なんかの機会に小金を儲けたりできそうな気がする…ってのと、英語の文って日本語の文より多いだろうから読めるとお得な気がするなってのと、最近元気だからこの元気を使って何かしたくて、いかにも遊びっぽいこと(?)もいいけど、ちょっとまともっぽい(?)ことするのもいいなって気持ちです。英語の勉強だなんてまともっぽいなー!みたな感覚…ありませんか?

でもその日その日でやりたいことって変わってしまうので、またすぐ次の中学2年生の範囲に手を付けれるかは分かりません。
でもできれば続けて勉強してほしいですね。高校の範囲も終わらせてそれより先もやって英検準1級とか取ってくれたら嬉しいけど、私ってあんまり物事をなしとげない人なので、期待できないなって思います。

そういえば今日はスーパーで青い梅が売ってるのを見ました。
去年は梅シロップを漬けてみたけど、今年は梅の酢漬けが作ってみたいです。酢漬けは黄色い梅の方がいいのかな?って思ってるのですが、どうなんでしょう、あとで調べてみます。


あと今日はツイッターのヘッダーの絵を変えてみたりもしました。
一昨日描いたお風呂の絵です。


変える前の絵はこれでした。


2023年5月21日 翠ぱーか

好きな本について述べる

好きな本について何か述べたいと思って、10作品選出してみました。
長らく読んでいない本もあって、私の頭はそんなに記憶が定着しないタイプの頭なのでほんとうなら全て読み返してからこういう文章を書いた方がよさそうなのですが、まず好きな本の好きさを思い出しながら言葉にすることで自分で自分にその本を読み返させたくするという狙いもあって、とりあえずは読み返さずに書くことにしました。

10作品のタイトルと著者名を並べると、こうです。

「河童」芥川龍之介
「いつかたこぶねになる日」小津夜景
「神の火」髙村薫
「斜陽」太宰治
「いたいけな主人」中里十
「君が僕を」中里十
「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ
トーマの心臓森博嗣
マリア様がみてる今野緒雪
イスラーム文化」井筒俊彦

この中に読む予定の本があって、内容について知らないまま本を読みたい派の人がいたら引き返してください。



それではまず一冊め、芥川龍之介の「河童」です。
私が持ってる岩波文庫だと芥川龍之介じゃなくて芥川竜之介って表記ですが、やっぱ芥川龍之介芥川龍之介がしっくりきます。
著作権の切れている昔の小説なので青空文庫でも読めると思います。私が高校に入学する時に買ってもらった電子辞書にも収録されていました。

河童の国に行ったことがあるって人の話を聞いた人がその話を写した文章って体の小説なのですが、私は「これは書かれた文章です」って断りがある小説って好きなのでこれがまず好きポイントその1です。

好きポイントその2は、いきなり細かい部分になりますが、「僕は河童の国から帰ってきた後、暫くは我々人間の皮膚の匂に閉口しました。」って描写です。
なんかすごいリアルだ!上手い!って思った部分です。(リアルも何も私は河童の国に行って帰ってきたことなんてないし、この話を語る人も精神病院に入院してる狂人なので、私がいる本の外側だけではなくて本の内側の世界でもこの話は本気で受け取られるような話ではなさそうなのですが)
ここを読んで、夏に海外旅行に行って帰ってきて空港から外に出た時のしばらくぶりの日本の蒸し暑さ…みたいな感覚のことを思い出したり、眠る時に見る夢って匂いが無い気がするし、言葉や物の形はぼんやり頭の中で思い浮かべることができるけど、ここに無い匂いを思い浮かべてここにあるような気分になるってのは難しい気がするな…とか考えたりしました。
はっとするというか、この文のおかげで河童の国から人間の世界への移動の感覚の実感が読んでる私にも生じるというか…上手く想像できて…楽しい体験でした。

そして好きポイントその3は、最後の最後の方に詩が登場するところです。
その河童の国の話をする患者さんがね、河童の詩集だって言って電話帳をとりだしてその本に載ってる詩を読んでくれるんですけど、詩の部分はゆったりとスペースが使われてるんです。
他の部分の文章は小説らしくページにぎっしり詰まってるんですけど、詩の部分は詩らしく、一行の文字数が少なくて一節一節の間に空白の行があったりするんです。
それで、その部分になると読み心地というか読む速度が変わるんですけど、それがすごく良いんです。
朗読とかを聞くより文字で読んだ方が同じ内容でも早く読めるものだと思うのですが、(文章を読む速度は人によって違うだろうからそうでもないって人もいるかもだけど)詩はちょっと例外で、詩を読むときってざーっとは読まず頭の中で声に出しながら(?)読みませんか?私はそうなんですけど、だから、ここで、河童の国の話をする患者さんの声の速度と私が本を読む速度が重なるかんじがして、その演出(?)が好きです。
この部分が無ければ、最初から最後まで同じ速度でさーっと歩いて終わり、みたいな読書になりそうなんですけど、この部分が最後の最後に読む人を立ち止まらせて、小説の内側の景色をじっくり眺めさせられるような仕掛けになっている気がします。

河童は短いお話なので、短時間で面白い小説を読んだ感というか、読み終えた後の余韻を味わえるのが良いです。お得な小説な気がします。


そして次は2冊め、小津夜景の「いつかたこぶねになる日」です。
エッセイと漢詩が30ずつくらい載ってる本です。

好きポイントその1は、どこから読んでもいいかんじの本なところです。
小説とかの本の厚みって、ちょっと気が重くなりませんか?これも人によるんだろうなと思うのですが、私は読み始めるとき、これからこんな大量の文字を読むのか…ってちょっと気分が下降したりします。
でもこの本は続き物じゃない短めのエッセイがいくつも収録されてる本なので、なんとなくぱらぱら~とページをめくって、なんとなく気になったところを読むってことができるのが好きです。のびのびした気分で読書できます。

好きポイントその2は、一編のエッセイにつき一つは漢詩が登場するところです。
軽く読める気楽さは短いエッセイのいいところではありますが、その分読後の余韻の深さみたいなのは不足しがちな気もします。でもこの本では詩が一編一編エッセイを引き締めているので(?)、読んだときの満足感がすごくあります。
「河童」の好きポイント3では言いそびれましたが、私は詩集で読む詩も好きですが、詩じゃない文に挿入される詩の部分はもっと好きなんだと思います。

好きポイントその3…いやポイントというか、この本の全範囲にわたる良さについて述べたいのですが、この本はどこから読んでもいいというだけでなく、内容も、筆致も、のびのびしたかんじで好きです。
浮世離れしているかんじというか、足が地についてないかんじというか、なんだかとてもふわふわしたかんじもするけど、生活感もあって、具体的というか実際的な事と、雰囲気とか観念みたいな事(?)の世界が分かれてないかんじというか…ひとつのものから何かを連想して、それを繰り返してどれだけ遠くのどれだけ美しい場所に行けるかみたいな競技があったとしたら、この人はものすごい記録を出しそうだみたいなかんじがする文で(???)好きです。
すべてのエッセイが、こんな文ありそうだなって文ではなくて、どれも思いがけない意外な文章で、とても楽しく読めます。おすすめです。


3冊めは…いえこれは上下巻で2冊あるので…ここからは作って単位を使うことにします。3作めは髙村薫の「神の火」です。
これはとても面白い小説なのですが、専門的な言葉がたくさんの細かい描写とかも多くて、読むのがなかなか大変です。でもとてもすてきな小説です。

どんな話かというと、主人公の島田さんがいて…最終的には島田さんが原発を襲撃するって話です。
私は、人間が個人的な感情のためにめちゃくちゃなことを衝動的にではなく理性で計画して実行する…みたいなのがとても好きで、そのとき自分の感情もたくさん疑ってほしいとか自分のすることはめちゃくちゃだと自覚しててほしいとかでもほんとのほんとにめちゃくちゃなんじゃなくてそこに意味もあってほしいとかでもその意味は個人的なものでないとだめでひろく通じるようなものではいやとか、、まあいろいろこだわりはあるのですが、そんな私の趣味にちょうど合うようなお話しです。
ちょうど合うというかこの本が私にこの趣味をはっきり自覚させたのかもしれないです。
原発襲撃なんてとんでもないことではあるのですが、島田さんはずっと自分の正気を検分し続けてるような人で、そんな描写が細かくなされているので、読んでる私たちには島田さんがそうすることが…なんというか…分かります。
それがとても良いというか…スリリング?な体験ができる読書だなと思います。

あとほんとに文章が細かくてすごいです。細密画ってかんじです(?)

もっともらしいことではなくても賢明とは評されないようなことでも他人から見たらよく分からないことでも、心の納得のために何かをしようと思って、そうする、みたいなのが私は好きです。それも咄嗟にするんじゃなくて、またその行為を客観的にも評価できる上でそれでもやろうと思ってやるみたいなのが好きです。神の火はそんなお話なので好きです。

あとなんか…あらすじからは想像できないかんじの美しさのある小説で良いです。善ではなく美ってかんじの小説でおすすめです。

それと神の火は単行本から文庫になるときに内容がけっこう変わってるらしいのですが、私が読んだのは文庫の方です。新潮文庫の た-53-2 と た-53-3 です。


4作目は太宰治の「斜陽」です。
これは読みやすくて面白い小説です。今の私の趣味にぴったりは合致しないかもですが、中学生くらいの頃初めて読んだ時は私が読みたかった小説はこんな小説だ!って思ったような気がします。そういう思い出の一冊です。
やっぱり私は、人が自分の心でいろいろ考えて自分の感情のために独創性のある行動をするのが好きです。これもそういう話だから好きです。
人が自分の心でいろいろ考えて自分の感情のために独創性のある行動をするのが好き…これを述べたら満足してしまったのでもう次の本の話に移ります。


5作目は中里十の「いたいけな主人」です。
これはすてきな百合小説です。これも初めて読んだのは中学生の時でした。でもこの本の良さがちゃんと分かったのは去年くらいに読み返したときです。私は今27才なので、十何年か越しってことになります。

この物語の中では、登場人物が嘘っぽい蛇足っぽいハッピーエンドで終わる物語について話をするシーンがあるのですが、この「いたいけな主人」もまさにそんな終わり方をします。
だからほんとうはこんな幸せな展開にはならなかったんだろうなというのが分かります。でもどこからどこまでがほんとうのことかは分かりません。幸せな物語の終わりが悲しく、その悲しさがそのありえなかった無理のある幸せを美しく感じさせます。
そしてほんとうもなにもこれは作られた物語でノンフィクションとかではないし…それに作中で語られる物語と同じような終わりをすることが「これは書かれた物語です」って断わりになってるからフィクションの中のノンフィクション(?)ですらないってことかな…とか思ったりして…?なんかとにかく頭がちょっと混乱します。鏡と鏡を合わせたのを覗いたような気分になります。
この、他ではあんまり味わったことのないタイプの読み終わり心地?が好きな小説です。
でも昔読んだ時はこのしかけに気づけなくて、読み終わった後、ふーん?みたいな気分になってました。


6作目も中里十の作品で、「君が僕を」です。これは全4巻なのですが、一冊一冊がそんなに分厚くなくて、字もあんまりぎゅうぎゅうには詰まってないです。でも、よくありそうな内容ではなくて意外な思いがけない内容の文章なので読みごたえはけっこうあります。哲学的百合小説です。
この話は私の知ってる小説の中でいちばん私と気が合う本かもしれないです。私が高校生くらいの感じやすい頃にこれを読んで感化されたからです。
いやでも私も変化しているので、いちばんってのは言い過ぎかもしれません。それでもとても思い入れのある小説です。
好きポイントはいろいろあるのですが、ここではいろいろのうちののひとつである、最終巻のあとがきを一部引用して紹介したいと思います。

(日本を代表する場所として私が推すのは、郊外の新興住宅街です。
 こういうときの外国人向けの答えとして適切とされる場所はたくさんあります。法隆寺秋葉原、築地の魚市場、などなど。しかし私には、それが正しいとは信じられません。私がこれまでに住んだことのある場所はすべて郊外の新興住宅街です。そう珍しくもないはずの私の人生でもっとも長い時間を過ごした場所を無視して、フジヤマ・ゲイシャ・スシ・カラオケ的なステレオタイプを「こういうのがお望みでしょ」とばかりに差し出すのは、どう考えても誠実な行為ではありません。
 同様に、教祖・教団・経典の揃った宗教は、私にとってはフジヤマ・ゲイシャ・スシ・カラオケです。クリスマスや七夕やバレンタインデー、「いただきます」と「ごちそうさま」、赤い羽根共同募金、スポーツ――これらが私にとっては宗教の代表的な姿です。
 こういう意味での代表的なもの、中心的なものを、本作『君が僕を』に盛り込んでみました。)

…なんだかこの文章を読むとどんな話かなって気になりませんか?気になったら読んでみてもいいと思います。


7作目はミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」です。これも哲学的な小説です。
これはかなりとっても面白いです。なんとなく知ってたり分かってたり思ってたり感じてたりする何かが、はっきり言葉にされているのに初めて出会ったときの感動がたくさん味わえるような本でした。読むと世界の見え方がちょっとはっきりして、何かに埋もれていた自我の輪郭がくっきり浮かび上がってくるような気もします。

いつだったか、むかーしむかし、子供だった頃のことですが、何かの本を読んで、私がなんとも言えない、言葉にできない感情として扱っていた感情に近いものが言葉で表現されているのに初めて出会ったときは、これって言葉にできないわけではなかったんだ!って驚いたものでしたが、やっぱりそういう体験ができる本はいいなと思います。

西永良成訳の方をおすすめしたいなって思います。


8作目は森博嗣の「トーマの心臓」です。
これは萩尾望都の漫画「トーマの心臓」を原作とする小説なのですが、けっこう翻案されてて、原作とはいろいろが違っています。
私は先に漫画を読んだことがあってそちらもけっこう好きなのですが、これは小説の方がもっと好きだったりします。
あの原作がある上で小説版がこんななのが良くて好きってのもありますが、小説の方だけ読んでも十分面白いんじゃないかなと思います。
これはとてもきれいな小説なので、きれいなものが必要な気分の時に読むといいと思います。
このきれいさは…装飾がすごくて豪華でぴかぴかしてる系(?)のきれいさではなくて…どちらかというと空気が美味しくて水が透明で雑音がなくて静かみたいなタイプのきれいさです。
あーでも癒しってかんじではないかもで…緊張感はあるかもで…うーん…上手く言えないのですが、とにかくきれいでいいな!って思っています。

また好きな部分をちょっと紹介します。

(「それから、一人っていうのは、逆に考えたら、自由だってことだ。ユーリがそう言っていた、羨ましいって」
「羨ましい?」彼は首を傾げた。「そうかなあ……。束縛をするような身内は鬱陶しいけれど、信頼していて、自由にさせてくれる人だっていると思うな。そういう人は、ずっと一緒にいなくても良くて、でも、どこかにいてくれる。生きている、というだけで、嬉しい。そういうものじゃない?」
 僕は頷いた。あまりに正しすぎる。まったくそのとおりだ、と思った。エーリクはときどき、驚くほど適切な表現をするのだ。)

健全な愛を分かってる人だ!ってかんじがしてなんだか好きな部分です。


9作目は今野緒雪の「マリア様がみてる」です。
これは37巻あるので全部読むのはけっこうたいへんです。でもけっこう対象年齢が低めに想定されていそうな少女小説で文章が難しくないので、一冊読むのにあんまり時間はかからないです。
37巻あるので、物語の始まりから終わりまでで、登場人物たちの心や人間関係がけっこう変化します。それも良い変化をします。だから「よかったね~~」って気分になれます。

この物語の中では、キャラクター達がある程度ちゃんとした恵まれた環境であんまり悪いものに晒されることなくのびのびと悩んだり喜んだり傷ついたり騒いだり困ったり遊んだりなんだりしながらいきいきと暮らしていて、それが可愛くて、いい光景で、好きです。

人間が人間を大好きなのは好きだけど恋愛ものが好きってわけではないのかも…みたいな私みたいな趣味の人にもおすすめです。大好き以外にも、ほどよい仲の良さとか、いろんなすてきな人間関係のバリエーションが楽しめるすてきな作品です。


最後の10作目は井筒俊彦の「イスラーム文化」です。
これは小説ではなくて井筒俊彦さんがイスラーム文化について教えてくれる本です。
これを読むと、こんな人間になりたい!って思います。こんな文章を書く人間はすてきな人間だろうなって思います。
頭が良くて、穏やかで、でもしっかりした人が、分かりやすく、でも無駄にくだけた言い回しなどはせず、的確な言葉で知らないことを教えてくれるってかんじの本で、とても読み心地がいいです。
イスラーム文化に興味がある人にはもちろん、そうでない人にもおすすめしたい読み心地のよさです!

 

2023年3月26日 翠ぱーか